ここまできて気がついたこと

farfadet

親として子として生きてきて、ここまできてようやく気づいたことがあります。
それは「経験」がとても大切だと言うこと。
どんな「経験」も「経験」は宝物です。
「経験」は例えそれがどんな経験であれその子が生きる「糧」になり「知恵」になります。
失敗に見えることでも、人に迷惑をかけたことでも、生きていくための「糧」になります。
頭で身につけたものと経験して身につけたものとでは、身につき方や活かし方が異なります。
親である私たちは子どもに「失敗」をさせたくないがために、ああした方がいい、こうした方がいい、それでは上手くいかないとつい口を出してしまいます。
見守るより口を出す方が簡単だし。
そうしてうまくいかなかった時に「ほら見てごらん。お母さんの言うことを聞かなかったからよ。次からはちゃんと言うこと聞きなさい。」。。。
その一言は自分で判断するとまた失敗するかもしれないと思わせてしまいます。
やらかしてきました。笑


失敗ってあるのでしょうか。
命があって大きな怪我や病気につながることがなければ、思うようにいかなかった経験を繰り返すことで自分でできるようになった達成感と自信を身につけていくのだと思います。
それが受験であっても自分で決めた道にチャレンジし、その時志望校にいけなくてもその経験が次の進路選択に生きてきます。
(本当は“選択ミス”に思える大きな怪我や病気も失敗ではありません。でも親の立場からそう思うことは難しいと思います。少なくとも私は“あの時止めていれば”などと思い悩むと思います。)


身体に例えるとわかりやすいと思います。
実際にお会いしたお子さんです。
お母さんはとても愛して大切に育ててありました。
それはとても素晴らしいことです。
年長さんでしたがその子は何故か大きな怪我が多く、原因も躓いて転んだ時に手が出なかったからのような年長さんではあまり考えられないものばかりでした。
お母さんとお話しすると立って歩くようになってからはいつも側についていて、転びそうになると全部お母さんが受け止めていたそうです。
それが幼稚園に入園させると側に張り付けなくなった。年長さんでした。それまで転ぶ経験をさせてこなかったから自分で手を使い自分の身体を守ることができない、それが度重なる大怪我に繋がってしまったと言われてました。

理想は、危険なこと以外は心身ともに多少の怪我を覚悟で経験を見守り子どもが自分で超える力を信じて応援すること。超えるとは向かっていくことばかりではありません。時には逃げる選択も含めての自分で超えるということです。自分で選んで自分で歩くという意味ですね。
嬉しいことも悲しいことも苦しいことも、どんなことも「経験」として楽しめたら素敵です。
悶え苦しむこともあるでしょうがその分喜びもひとしおなはず。
共に喜び共に悲しみ、いつでも安心して戻ってこれる温かい心の居場所を用意してあげる。
そんなことができるようになるといいなと思います。

親に「経験」をさせて貰えず、親として思うように「経験」させてあげられなかった、両者の立場を「経験」した私の想いです。


#不登校 #学校 #引きこもり #親子 #親子の関係 #親子のコミュニケーション #経験
#カウンセリング


Steve AdcockによるPixabayからの画像

タイトルとURLをコピーしました