心と起こっている出来事の仕組み 例えば災害

farfadet

前回のホ・オポノポノから話は続きます。

活火山(活動している火山)と死火山(これまでに活動記録がない火山)と表現するように火山にも活動しているものとそうでないものがあります。それに惑星を照らし合わせると地球は活動している惑星、つまり活きている星です。
ということは地震、火山の噴火、台風などの自然災害と言われるものは極々当たり前の活動であり、突然降りかかるように感じるけれど実は極当たり前のことが起きているだけの出来事でもあります。

ただしそこに人の集合意識が関わると自然なレベルの災害がとても大きな災害に変容することがあります。

私たちの個人の意識は自分が思うよりも大きな力があります。
「今日は桃🍑を食べたいな〜。」と思った時にまだ季節ではないのに大きくてお得な桃🍑がたまたま売ってた、こんなお皿が欲しいと思っていたらたまたま立ち寄ったお店に売っていたなど、些細なことだけれど突然こうだといいなと思ったことが実現した体験はありませんか?
自分だけで成就できるものの現実化は「どうせ叶うわけない。」「あそこのお店にあるわけない。」など自分の思考が邪魔をしなければ案外するっと叶うものです。
それはとても小さな体験だけど自分の想いを現実化する私たちが誰でも持っている大きな力でもあります。

「そうか!じゃあ事件や事故、災害はそれを願っている人の思考が現実化しているのか!」と思いましたか?
正解なようで不正解、不正解なようでまま正解。。。でしょうか。


もう少し掘り下げると私たち個人の意識はそれぞれ集合意識にも繋がっていて、「日本人の集合意識」「母の集合意識」「長女の集合意識」「妻の集合意識」「2000年生まれの集合意識」のように個人が幾つもの集合意識に属しています。

その中で日本の災害に大きく関わっているのはもちろん日本人の集合意識です。
ある地方で地震が起こった時みなさんはどうされますか?
募金や災害支援に出向くなどとは別に自分に対してどうされているかという質問です。
私は以前は自分が巻き込まれるのは怖いと感じいても、まさか自分に起こるとは思えないから大丈夫大丈夫と言い聞かせてスルー、怖いと感じる気持ちもスルーしていました。

そうすると怖いと感じる気持ちは自分のものだけではなくなり、集合意識の檻の中へドボン!と深く沈められてしまい、多くの人がドボン!することで集合意識に「地震への恐怖」という集合意識が形成され、さらに常日頃感じてはいけないと思っている怒り、悲しみ、憎しみなど「ネガティブ」に感じている感情。。。これらもドボン!されます。
もう一度念を押します。感じてはいけないと思っている感情です。沸々と怒り、私怒ってるなと思っているのは健全です。
怒りや悲しみ、憎しみ、不安などの感情は感じていると気持ち悪いし、大人になるまでの過程で「なんで怒ってるの!いい加減にしなさい!」「そんなことで怒るなんて!」と怒ることを悪いものとして学習してきたのではないでしょうか?
怒りとは本来自分にとって気持ち悪いもの、自分はそれが好きではないという自分の尺度を知るためのものですが、怒ってはいけないという無意識の思いが怒りを押し込めてしまい、私なんかはほんの少しイラッとしたり、えっと思ってもすぐに忘れて笑顔を作る、まるで何も感じなかったように平気なふりをして生きるのは当たり前でした。
そして多くの人が押し込めてきた怒り、悲しみ、憎しみ、不安などのドボン!された感情エネルギーは災害の巨大化へ関与していくことになります。

災害に特化して言えば、一人一人が怖いものは怖いと認め、その上で災害が起きたときにどう対処するのかを考え準備していくと認められた心が安心し、抑圧された感情エネルギーが解放され災害の軽減にも繋がっていくことになります。

災害は不登校やお子さんとの関わりには直接関係ありませんが、心の仕組みを少しでも伝わりやすくするため、そしてお子さんが不安定な時には生と死という親子の関わりでは最も不安で直接言葉にして表現しにくいラインに関与していることでもあるのでこの場に記してみました。

そしていつ起こるかわからない災害。
先日は南海トラフの注意報が発令、それに伴いお米や水、非常食の買い占めが起こり、不安が不安を呼ぶ現象が起きています。
事前にできることを進めていると世間が不安で買い占めに走り必需品の価格が暴騰しても安心して過ごすことができます。
色んな意味で今の自分でできそうな災害対策も進めてみませんか?


#学校 #不登校 #親子 #親子の関係 #災害 #生と死


Сергей РемизовによるPixabayからの画像

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