結局落ち着くところに落ち着くのだと感じたこと その3 (そふぃあ編)

そふぃあ

息子の慢性疾患、血友病は遺伝性の疾患である。
私の兄も血友病患者であり、 母がキャリア。つまり私の家系からの遺伝なのだ。この事について、いろいろと考え方があると思うのだが、私の場合は罪悪感に繋がった。

息子の慢性疾患のルーツも、息子の不登校の原因も、すべて私が悪いという強い思い込みを握りしめていた。
その罪悪感がうずくのは、息子のケアである週三回、定期的に血液製剤を補充するための静脈注射を失敗した時。

一回で血管に注射針が入らない時を失敗と思っているのだが、本来、三回までは血管の場所を変えて注射にトライしてOKと主治医から指導されているところ、息子は一回で血管に入らなければ注射を拒絶して、その日の注射はなしになる。
どれだけ痛くても不自由でも、その日は頑として注射しないのだ。

私は息子のその姿が耐えられなかった。
「オレの病気はお前のせいやぞ!」と責められている気がしたからだ。もちろん息子はそんなことは一言も言ってない。けれども私は、あたかもそうして責められているかのように感じていたのだ。
そして本来息子の症状を軽くするための注射を、私の失敗によって実施できないとなると、普通に母親として気がかりで心配でどうしようもなかった。
いろんな感情が相まって、息子への罪悪感は日ごとに肥大していき本当に苦しかった。

しかし私の罪悪感と、息子が自分事として自分の病気に向き合うことは別物で、親としては息子が自分で病気に向き合うことを促すのが役割であり義務である。私が息子の人生を変わってやることはできない限り、息子は自分の身体を自分で守るという意識を持つしか、生きていく術はない。私はそれが自立だと思っている。経済的にはもちろんのこと、精神的自立を果たすことを、私たち親子にとっては血友病を通じても行う必要がある。

一度の失敗で注射をしないという選択をする息子に対してのざわざわはいつもつきまとったけれども、注射をしないメリットもデメリットも、私のものではなく息子のものだと腑に落ちると、私のスタンスを守ることができるようになって来た。
患部が腫れて痛くても不自由でも、息子が注射しないなら、私は一切何も言わないと決めた。
不登校についても血友病についても、息子の人生への関わり方を変える覚悟が必要だったのだ。

次回へ続く!



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Marvin BlancoによるPixabayからの画像 

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