嬉しい変化

farfadet

年末に次男の先生と2度の面談がありました。
彼が今の気持ちや状態を先生に語っていたのですが、その中でとても強く心に残った言葉がありました。

「僕は生きる意味はない、意味がないのに生きていても仕方ないとずっと辛かったです。でも今は意味がないなら自分の好きなことを実現するために思いっきりチャレンジしてみようと思いました。やりたいことはたくさんあって目標も高いので実現できてもできなくてもいい。でも実現するために思いっきりやってみるということを楽しみたいと思っています。
学校に行きたかったのに行けなかったことはとても辛かったし苦しかったです。やめなければいけないのもとても辛かったです。でも今はもう一度やり直して同じ辛さを味わったとしても同じ道を選択をすると思えるほどに悔いはありません。苦しみも無駄ではなかった、この道を選んでよかったと思います。」

中学2年から高校1年の冬休みまで毎日のように生きている意味もないし死んだ方がましだ、人と同じことができない自分には価値がないと嘆いていました。
そんなことはないよと言いながらどうしてあげることもできませんでした。
彼をこんな風にしたのは私のせい、私が自分に気づけず、私が怖がって前に進めず、私が、私がと自分を責めてきたし、やりたいことに真っ直ぐ進むお子さんに比べて彼に無駄な時間を過ごさせてしまったと感じていました。

でも彼の言葉を聞いた今、私はそう思ってきた自分をなんて浅はかで傲慢だったのだろうと思います。
彼はもう一度巻き戻して歩んだとしても同じ道を選ぶと言い切ったのです。
無駄な時間を過ごさせてしまったと思う私は、私のエゴで彼の人生の時間が無駄か無駄でなかったのかを考えていたのです。自分の小さなエゴの判断で人の人生を評価するということはなんと浅はかで傲慢なのだろうと感じました。
そして自分のせいだと自分を責めるのは、認められないものから逃げるための道具だったのかな、自己満足だったのかなと感じました。

これはあくまでも私が息子との間で感じたこと。
この感じ方が正しいというわけではありません。
なぜなら私自身もその過程があって今の私に辿り着いたからです。
ここを訪れてくださった方はいつかの何処かの私でもあります。
何かのヒントになれば嬉しいと想い私が辿った道をシェアします。


#不登校 #学校 #引きこもり #親子 #親子の関係


adege / 1486 images  pixabay

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